2009年10月23日金曜日

構造的デフレ

最近、仕事先で話す話題の一つに「構造的デフレ」という仮説がある。現在デフレは景況によるもののとして捉えられることが多いが、「実はそれはごく一部でもっと構造的な影響が背景にあるのではないか。」とでも表現できる問題意識がその話の中心になっている。今日はそのあたりを備忘録がわりに記述しておこうと思う。

1)消費行動の急激な変化(消費行動のE化)
最近のインターネット販売の伸びは著しいものがある、最大手アマゾンにしても年率で15~20%程度の伸び(直近の発表では対前年比21~36%という数字もある)を毎年続けている。その売り上げの伸びがどこから来ているのかというと、ネット販売の中での集中化ということ以上に、リアル店舗での購買からの移行が多いと予想される。リアル/ネットの商取引の規模を正確に把握できている統計は無いのであくまで推測に過ぎないのだが、その移行規模は相当な大きさと予想される。消費行動のE化とでも呼べるこの現象は、消費全体、サービス・商品の価格に対して以下の様な影響を与えていると思われる。 
(アマゾンの全体売上が4半期で50億ドルを超えているので通年で2兆円程、日本が約1割とされているとすると2000億?(随分と大きい数字)、その規模の仮に30%の成長率とすると年間で600億程度規模の売上がどこからか移行していることになる。経産省発表のBtoC ECのデータを見ると市場全体では毎年1兆円程の規模で拡大している。

あくまで想像だが、BtoCの消費規模が拡大していないとすると、この1兆円の拡大は、従来の流通からECへの移行によって支えられれているのではないだろうか。加えて、1兆円という数字よりも実際はより大きな数字が移行している様な感覚もある。消費全体の正確な統計数字が無いこともあり、このあたりがはっきりと見えるまでにはまだ時間がかかるだろう。
以下にその傾向を後押ししているであろう現象・動向をあげておこう。

○購買に関わる検討・情報摂取行動の短縮化・合理化
インターネットにより、商品・サービス情報の取得や比較検討が飛躍的に容易になった。それにより、購買前の検討行動や移動に費用や時間がかからなくなった。以前なら雑誌を買ったり、実際に店に出向いて情報を得たり・比較検討する行動が多くみられたが、そのかなりの部分がインターネット内で完結する様になった。

○価格比較の容易化
インターネットにより、商品情報や仕様に加え、価格比較が容易になり。低価格な売り手に購買が集中することになった。低価格を実現している売り手は、調達・購買・配送等の各プロセスを合理化(中抜き、低コスト化)しているため、販売に関わる業者数・金額ともに大きく減少している。当然ながら、淘汰される業者が多く発生する。

2)消費行動の情報化(モノからコト消費へ)
生活物資が充足し付加価値競争が行われた結果、供給される商品の品質や品位感は殆どのものが、不満につながらないレベルに到達し、量的には大幅な供給過多になった。付加価値競争がさらに進展する中で、差別化は主に非物的なレベルで行われる様なった。(物的な差別化の困難化)

○モノの情報化
一方、コンピューターや携帯電話の普及・進化が進み情報量が飛躍的に増える中で、生活者は防衛的にも情報のフィルタリング、選択に優れた能力を身につける様になった。 情報レベルでモノの価値が判断される傾向が強まる中、モノと情報が価値レベルでは融合的に処理・判断される様になった。

○消費の情報化
生活者の消費欲求が失われた訳ではないが、それがモノである割合は相対的に減少し、モノさえもコト(情報)としての意識レベルで消費されることが増えた。(モノを購買する時にネタ(話のネタ)になるかどうかといった情報価値で購買がなされることもその現れかと思う。)

コマースのE化&消費の情報化による価格引き下げ効果
消費行動のE化、消費の情報化といった大きなトレンドは、消費行動の合理化・短絡化や物質(モノ)費量は抑制傾向を生み出した。 当然ながら、それら現象の持続的な拡大は、物質やサービスの供給過多傾向を生み出し、価格低下の圧力となっている。加えて景況の悪化により、消費を抑制するムードが加えられさらに強まっていると考えている。ただ、よく言われる景況の変化以上に、上記の現象はより持続的で影響の程度も大きいのでは無いかというのが私の認識だ。

この仮説については継続的に追求し、意見を募ったり、各方面の方々と議論を深めてゆきたいと思う。

2009年10月15日木曜日

京都東山 何有荘

10/14に仕事先が所有されておられる京都の名園を訪問する機会を得た。明治時代に作られ、大正時代に現在の形を持つ様になった歴史あるとお庭だ。

比較的平坦な地形の多い京都にあって、傾斜を活かした庭園は数が限られる。何よりここの特徴は、明治、大正、昭和各時代の実業家に愛でられてきた庭であることだ。俗世間からの息抜きの場であるとともに、実業家としての交友を深める場としても機能してきたはず。

庭の隅々まで行き届く細やかな配慮と意図、多元的な視線を意識した空間のデザイン。何をとっても総合芸術として一級品の完成度だ。ただ、この庭は最近までは、オーナーに恵まれず荒れ果てていたと聞く。

この場の価値を理解されるオーナーの熱意と集中があって短期間でここまで復興された事に驚く。この様に総合的な自己表現の場を持てたかつての富裕層は本当に恵まれた時代を過ごしたのは事実だろう。現在、ここまでのものを作り出す、意識(あるいは執着)も時間的な余裕も、知力・技術も今は容易には手に入らない。

自身を振り返っても、戦前の祖先はここまでの規模ではないが、相当の庭園と屋敷を持ち、自ら所有する山と山荘を愛でる余裕を持っていたと聞く。もはや、作り出せないものにノスタルジーを感じることを、今日はあらためて確認した。

何有荘 http://www.kaiuso.com/

2009年10月7日水曜日

東急ハンズに思うこと

先日、久しぶりに渋谷で少し時間が空いたので、東急ハンズへ行ってみた。入ってビックリしたのがフロアの構成がかなり大きく変更されていたこと、加えて、各売り場の通路が広く、ガランとした印象になっていたこと。


フロアコンセプトが見直され、商品点数が絞り込まれている。いや、それだけではなくお店のコンセプトもどうやら再定義している様なのだ。時間の許す限り、フロアを回り売り場の概要を見て回る。自分の愛用品でハンズでなければ買えなかったものもあった。例えば、「3Mプラスチックテープの狭幅」は広幅しか陳列されていなかった。さあ、どこで今度は買おうか?とちょっと途方に暮れてみる。


そんな様子で、かなり失望しながらお店の中を巡ったのだが、この先の東急ハンズがとても心配になった。そもそもの魅力・強みをかなり弱めたのではないだろうか。


東急ハンズについて語るとかなり長い話になるのだが、その魅力は、大量・多品種のモノたちが提示されることで、買い手を触発し、意外なモノの発見、組合せの発見が生まれ、来店時には想像出来なかった様なアイデアや買い物を創造する点にあったと思う。“予測不能な数と種類のモノたちが買い手をインスパイアするお店”そんな能力と魅力を持った場だったのだろう。


消費が成熟した今だからこそ、予定外の買い物を触発するリアルな場が価値を持つはずなのに、完全に逆行している。東急ハンズの未来や如何に?


そもそも、ハンズはどんなお店だったのか?その始まりの頃の雰囲気。もし知りたければ僕が、企画・取材にかかわったハンズ研究本「ハンズ現象」を見て欲しい。これは、今をときめく三浦展さんの奥さん(やはり編集者)と作り、三浦さんご自身も手伝われて作った本だ。僕は顧客の類型化や、企画全体に協力し、なぜかカメラマンとしても参加した。


2009年10月6日火曜日

デフレのドライバーはインターネット?

Twitterにも書き込んでみたが、景気だけでなく、インターネットがデフレのドライバーになっていると見るのは自然ではないだろうか。
情報探索を短縮化、ローコスト化すれば他の情報摂取・探索行動は縮小する。購買にあたっても移動もせずに、中抜けのチャネルで購買する。消費行動のインターネット化は価格を引き下げるのは確実だろう。
誰か真剣に研究している人は居ないか?

2009年10月2日金曜日

Twitter試運転中


話題のtwitter、お得意のちょっと遅れ気味で試運転。なかなか微妙な環境。高名な方々も実にアクティブで良く仕事ができているな~。と思う程。自分はおっかなびっくり時々つぶやき中(なう)。

確かに新しい利用体験があって、ブログより親密感、個対個の距離感が感じらるのが美点。半プッシュなのでリアルタイム感もものすごくある。個対多のブロードキャスト的な部分と個対個の私信的な部分を両方包含しているのがとても面白い。

有名人でもフォローすると、システム化されていると思いますが、お礼が来る。オノヨーコさんや、YMOからお返事が来るとやっぱり嬉しい。
後、返事をすることに脅迫的にならずに済むのがとても良い。

自分のウェブに新コーナーを加えました

早速自分のコンテンツ化を実践すべく、自分のウェブ上でのコンテンツ充実化中です。第1弾は、読んだ本を自分が触発されたこと、理解できたことに特化して、サマライズした「曲解文庫」です。ぜひ、ご覧下さい。