2010年6月5日土曜日

上海雑感 その2


中国人と日本人の見た目の差異

スタッフパスを首から提げて万博会場に居ると色々な人からの質問を受ける。当然ながら大概は中国語で話しかけられる。ただ、立っている場所は日本館の前なので、日本語で声をかけられることも日に何度もある。

ただ、近づいてくる人が日本語で話しかけてくるかどうかは、その様子からはなかなか予測できなくなっている。なぜかと言えば、明かに中国の人とわかる人も居るが、表情や服装では判断のつかない人が実に増えている。反対に日本人でも中国の人の様な服装をしている人も多く、一瞥しただけではなかなかわからない。

4年前であれば、服装も化粧ももっと明かな差があったのだが、日本式のコーディネイトやメイクがかなり浸透し、バッグや靴といった服飾小物の差もかなり少ない。元々、衣料や服飾雑貨の多くは同じ工場で生産されたものだし、手に持っているコンパクトデジカメやデジタル一眼レフはほぼ同じものなのだ。

一眼デジカメ大ブーム

万博会場で印象的だったのが、デジタル一眼レフの最新モデルを持つ人の多さだった。全体に占める割合で言えば1割も居ない人数なのだろうが、その存在感は際立っていた。CanonやNikonといった日本ブランドの最新モデル。それもかなり良い大口径のレンズを付けている人が多い。持っている人の年齢層や性別も様々、明かに写真を趣味としてる年配の母と娘がどちらも最高級に近いレンズを付けて持ち歩いていた姿が印象的だった。一眼レフでない人たちも、最近モデルの日本ブランドのデジカメを皆持っている。こちらはほぼ100%に近い数字で、日本のデジカメメーカーは中国市場に随分と助けられている。

電気自動車づくし

万博会場内で目に付くのは多種・大量の電気自動車たちだ。会場内を巡回する大型バスから、スタッフの移送用のゴルフカートの親玉の様なモデル。ゴミ収集や掃除をする小型のモデル。公安のパトカーになっているセダンも電気自動車だ。どれもが会場を忙しく右往左往している、スペックで見ればおそらく航続距離は短いだろうし、大して速度も出ないが(実際シャトルバスは上り坂ではとても苦しそうに走っていた)、あの会場では使えてるし、一見だれもが満足している。日本の基準ではとても実用レベルとは言えないものばかりだとは思うが、このレベルでまず実用のスタンダードとするのか。少なくとも、日本的な自国製品に対する自虐あるいは謙遜的な視点や評価は存在しないかに見えた。

上海で学ぶ若者たちと韓流ブーム

今回のイベントでは運営のアルバイトに現地在住の日本人の大学生を採用したのだが、明るく前向きで、聡明な若者ばかりだった。話を聞いてみれば、W大学から上海の大学への1年間の交換留学のプログラムで来ている子を含め、皆、志を持って上海での生活を選んでいる若者ばかりなので、それもその筈。

その彼らから聞いたことに、今、韓流モノが流行っているという話題があった。これは、3年前のベトナムでもあった話で、TVでは韓流ドラマが放映され人気を博しているとのこと。

ただ、ちょっと意外だったのは、その流行の理由だ。韓国から直接輸入されてのブームではなく、日本で韓流ブームだったのが結果的に中国でのブームにつながっているとの説明だった。日本のトレンドが中国に対してまだまだ影響力を持っているということを、ちょっと屈折して確認した話題だった。

自信満々の中国大衆

毎日接していた中国の大衆は謙遜は知らないかに見える。みな堂々と自己主張する。あまりに自信満々なので、うっかりするとこちらに引け目がある様な錯覚を持ってしまう程だ。しかし、その裏打ちが有るとはあまり思えない。上げ潮経済による所得のうなぎ登りで、気分も上がっているのだろうが、それだけではないかも知れない。

子連れの家族を見ていると、その子どもは本当に溺愛されている。一人っ子政策が助長しているのか、親は子どもにやたらに甘い。他人が親の代わりに子ども叱ろうものなら大騒ぎになりそうな様子だ。子どもの殆どは見るからに“俺様状態”で、傍若無人だ。その振る舞いを見ていると、若者の自信満々の風情と似ている気もする。1980年代以降の生まれなら一人っ子政策世代とのことなので、もう30歳位になっている。1970年代以前生まれは経済的成長で自信を得、1980年代以降は一人っ子政策の影響で自信満々な態度。これが背景なのか?

中国品質は新興国中心の世界市場ではスタンダード

各国パビリオンも高級ホテルの造作も実にディテールはラフだ。一見は図面通りに作っている様だが、よく見ると本当に雑な仕事をしている。日本の感覚で言えば素人の仕事レベルの仕上げしか存在しない。いきなり普通の人間を連れてきて、誰かが指示して作れるレベル。それが中国の物づくりのスタンダードだ。

物づくり全般にわたって何事も表面的で低クオリティだが、実用に耐えない程でも無いし、あまり気にしている人も居ない。市場ではもちろん日本ブランドは人気で日本製であればさらに付加価値が付くと聞いている。ただ、それはあくまでも付加価値であり、なければその品質でも良い。

おそらくこれはどの新興国でも同じだろう。新しく大量消費を味わい始めた人々には、細かい品質のつめよりも消費できることの方が重要なのだ。新興国市場が世界経済での存在感を高め、そこへの商品供給が担うのもまた新興国であれば、そこでの品質基準はおそらくこれまでとは異なる。中国品質は新興国市場では充分な品質と実用性を持ち、どこかの製品と似ていることも問題ではなく、トレンドに乗れている証明でしかない。

その意味で、日本の物づくりの出番はどんどん減っている。それと並行して中国等の新興国の製品レベルが上がるので、その傾向は尚更だ。しっかりとした戦略を持ってマーケティングが行えないと、日本製品の居場所はどんどんと小さくなってしまうことを上海で思った。

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