2009年12月30日水曜日

2009年の仕事を振り返る

気がつけばもう年末!
あわてて、2009年の主な仕事を振り返ってみます。

○環境省:低炭素社会づくりウェブプロデュース
○大手流通:PB商品ウェブ販売戦略企画
○駅消費研究プロジェクトコンサルティング
○カルチャーセンター:IT環境移行アドバイザリー
○海産物商社:ウェブ・直販戦略コンサルティング
○日本オーディオ協会:イベント企画・運営支援
○フィットネスクラブ:新店舗展開戦略企画アドバイザリー
○コンサートプロモート会社:新組織体制検討コンサルティング
○環境省:上海万博向け映像・展示開発企画・コーディネーション

+小学校PTA会長&区PTA連合会副会長

相変わらず色々な業種・領域の仕事に関わっていますが
1)社会や組織、市場の現状を見つめ・評価・分析する
2)今後のあり方や、事業環境を見つめギャップ・課題を見いだす
3)解決策としての計画やスキームを立案する
4)ステークホルダーとディスカッションしながら調整し、具体性を高める
といった視座・プロセスはほぼ同じです。

雑食で仕事をするからこそ見えてくるものもあると信じて、
また来年も色々なプロジェクトに挑んで行きたいと思っています。

来年はどんなプロジェクトに出会えるか、今から楽しみです!!

「近代化」がコモディティに

日本が長らく恩恵を受けてきたアドバンテージがコモディティ化しているのでは?という問題提起です。備忘録的に列挙しておきます。

○色々な事件はあったものの、日本はこの100年ほど、欧米諸国に互して活動できるアジア唯一の国としての立ち位置を保ってきた。ただ、その立ち位置そのものが急激にアドバンテージを失いつつある。

○日本がアドバンテージを築けたのは、アジアの国としては唯一、圧倒的に早期に社会・産業の近代化を実現したことにある。それにより、欧米の国々とは対等に近い立場で拮抗し、アジアの国々に対しては経済先進国として優位な立場を安定的に持つことができた。

○社会・経済の近代化が、アジアの多くの国々で急激に進み、その程度と範囲もどんどん拡がって行く。

○結果、日本が長らく基盤としてきた優位な立場が急激に陳腐化している。

○日本はこれまでのアドバンテージにしがみつかず、あらたな社会的・産業的な価値を持たないと、国の存在自体がコモディティになってゆく。

ちょっと乱暴で単純化された見方ではありますが、どちらへ進むべきか?と考える時に、頭の中に置いておきたい視点だと思っています。

2009年12月17日木曜日

Twitterはもはやプラットフォーム

どんどん熱くなってるTwitterまわり
Twitterを取り巻くトピックがさらに熱くなってきた。Twitterはもはや1サービスというよりも、コミュニケーション・プラットフォームとしての位置を確立し始めている。つぶやいた結果が集約されコンテンツとなど、Twitterを内部に取り込んだサービスも日々続々と登場している。Twitter本社とコンタクト人に話を聞いたが、かれらもTwitterを取り込んだ様々なサービスの登場を望んでいるそうだ。
ユーザーにとっては統合的なコミュニケーション・メディアインターフェイス
ユーザーにとっては、新しいネット社会とのコミュニケーション・メディア・インターフェイスとしての意味が定着してきた感じだ。検索無しで新しいトピックを発見する場やニュースソースになり、知り合いとのコミュニケーションにも使える。メールで連絡が取れない人もTwitterなら行動をトラッキングした上でコンタクトできる。
何より凄いは、日々の生活や思考のコンテクストが共有できる点だ、これは他のコミュニティでもあるが、Twitterだけで上記の様な役割を統合できるのがユニークな点だ。
受動と能動のバランスの良さ、頭の体操的な感覚も
また、受け身の部分と能動的な行動のバランスが取れるのが良い気がする。ウェブをただブラウズするだけの空しさというか不安感があるのは事実だろう。その点、Twitterは、つぶやきを見る/リンクを見る/つぶやく/他者からの反応を得る/他者のぶつやきを見る/他者のつぶやきに反応する・・・等々、拡がりと行為の種類が意外に幅広い。実際、頭の使う場所(刺激される場所)もその都度、どんどんと変化する感じがして、受け身だけのウェブの利用とは大分様子がちがう気がする。
“つぶやく”は現代人の1つの行動様式に?
もはや“つぶやく”は現代人の1つの行動様式になるのか?(ちょっと大げさだが)つぶやかない人は他者とコンテキストが共有できず、コミュニケーションサークルの外側で暮らすことになってしまうのだ。

2009年11月25日水曜日

後戻りできない感

情報化・IT化が生み出したもの:人・サービス・モノ余り社会
前述の「構造的デフレ」もその一環なのだが、情報化・IT化による社会・消費の構造的な変化はとても大きな流れになっている。最近、その事の重大さを今更ながらかみしめている。

情報化・IT化は全社会的な領域で、価値や関係の再定義、流通の短絡化を実現した。結果、人、サービス、モノ・・・・全ての分野で余剰を生み出す持続的なトレンドが作り出された。

後戻りはもうできない:新しい産業の創造が求められている
私たちは、もはや短絡化したままで放置することはできないのだ。新しい価値を生み出すサービスや産業を急いで作り出さなければならない。もちろん既にその萌芽も沢山見ることはできる。ただこれで、人口の多くが暮らせるほどの産業になるか?といえばそこへ至る道はかなり遠い。

コモディティの拡大とシャッター通りの拡大
短絡化はコモディティ化するモノ・サービスを増加させる。加えて、コモディティ化したモノ・サービスの集中化を加速する。集中化で失われた需要は、駅前のシャッター通りの様に戻ってこない。水脈の流れが変わったのだ。次にそこに水が流れてくるのは、いつなのかは想像がつかない。

もちろん、全てがコモディティ化するわけでもなく、独自の価値を持つモノ・サービスはその居場所を作ることができるだろう。それが何なのか、そこを探すのも1つの答えだろう。

衛星国家としての立ち位置
あるいは、旧来のパラダイムから抜け出ることができなければ、近隣の物的な成長を遂げる国に依存して、成長のおこぼれにあずかることになる。独自の立ち位置を持てるかどうかが今、問われている。そうでなければ、日本は技術移転元としていずれお払い箱になるか、所得レベルを下げて、近隣の成長国に対抗できる製造国として生き残るしかないかもしれない。

未踏の道へ向けて進む決意をする時
ともかくももう、後戻りはできない。この数年で新たな道を見いだすことが、自分にとっても、日本にとっても求められている。実に面白くも、厳しい時代になったものだ。

2009年11月6日金曜日

Twitterって何が面白い? 新しい?

以前にも書いたが、長らく放置していたTwitterを最近になって触っている。加えて、自分だけでなく周囲の人たちにも、話題にし、勧めることが多い。新しいガジェットだからといって、面白がるだけだと10年くらい早くて、あまり実利につながらないことが多いのだが、今回は寝かせ具合が丁度良かったのではないかと思っている。

Twitterを機能で説明しても、何が面白く、新しいのかは、なかなか要領を得ない。「使ってみなければわからないよ。」というのが結論なのだが、それではあまりに不親切なのでいくつかの視点でその特性の説明を試みてみよう。

1)強迫観念につながらない適当なルーズさ
適当にルーズなのが良い。読むのも、書くのもあまり脅迫的にならない。「すべて漏らさずに対応しなければ。」といった程の切迫感が無い。だらだらと流れてゆくタイムラインは、時間が無かったり、気が向かなければとばし読みしても良いし、後から読み直すこともできる。また、個人宛のダイレクトメッセージや@メッセージはそれだけで見ることもできるので見落とす心配もあまり無い。 これは、垂れ流しのブロードキャスト的な感覚とメールが合体している様な特性。

2)私的な感じのままの社会や著名人とのつながり
私的な感じを基本とした、社会や著名人とのつながり感。実際の知り合いと各界の著名人のつぶやきやニュースが同じタイムライン上を流れて行く。まったくフラットな環境で同じように見える情報は、身近さを伴って自分の中に入ってくる。これは、携帯メールやポケットベルのコミュニケーションにちょっと似ている。(大分古いですね)
次に、インターネットメディアならではのハイパーリンクによる、情報の拡がりがあること。一見、私信的な感覚なのに、クリックするだけで、ブラウザーとシームレスにつながり、様々な情報へとつながってゆける。今までのハイパーリンクを使ったどのツールよりも拡がり感を僕は感じる。

3)増幅力の高い、自分の好みに合う知性・情報との出会いの拡大
各人の「フォロー」「フォロワー」というつながりの属性を容易に見ることができることで、その人の関心・交友領域を一目で見ることが出来る。気になる、あるいは共感する誰かのつながりを、部分的に引用することで、知りうる情報・知性との関わりの拡大を飛躍的に加速することができる。これまでもSNSやソーシャルブックマークでもあったが、その増幅度は最も大きい気がする。

4)新しいデバイスとの適合性
自分はPCとiPhoneでTwitterをしているが、iPhoneとの相性の良さが何より印象的だ。タイムラインを見るのに耐える画面サイズ。そこから画面をタッチするだけでハイパーリンク機能で情報をシームレスに見られるインターフェイス。写真やジオタグをささやきに組み込める機能性。140字という制限にぴったりなちょっとプアな入力環境。これはこれまでの携帯電話では実現できなかったし、スマートフォンでもなかなかここまでの、ぴったり感は無かった。その意味で、アンドロイドを含む次世代のモバイル端末をブレークさせるサービスとしての意味もありそうだ。

5)実名コミュニケーションの実験
これまでのインターネットのコミュニティツールと決定的にちがうのはここかもしれない。殆どの人、特にアクティブに発言する人たちの殆どが実名、または容易に実名を知ることができる状態で参加している。自分も実名で参加しているが、あまり不快な思いはしていない。メールと比較してもはるかにスパムは少ないが、これがどう防げるかが今後のカギになりそうだ。
とはいえ、実名のネットコミュニケーションが成立するのか?どこまで価値を持つのか?その意味で壮大な実験だとも言える。

2009年10月23日金曜日

構造的デフレ

最近、仕事先で話す話題の一つに「構造的デフレ」という仮説がある。現在デフレは景況によるもののとして捉えられることが多いが、「実はそれはごく一部でもっと構造的な影響が背景にあるのではないか。」とでも表現できる問題意識がその話の中心になっている。今日はそのあたりを備忘録がわりに記述しておこうと思う。

1)消費行動の急激な変化(消費行動のE化)
最近のインターネット販売の伸びは著しいものがある、最大手アマゾンにしても年率で15~20%程度の伸び(直近の発表では対前年比21~36%という数字もある)を毎年続けている。その売り上げの伸びがどこから来ているのかというと、ネット販売の中での集中化ということ以上に、リアル店舗での購買からの移行が多いと予想される。リアル/ネットの商取引の規模を正確に把握できている統計は無いのであくまで推測に過ぎないのだが、その移行規模は相当な大きさと予想される。消費行動のE化とでも呼べるこの現象は、消費全体、サービス・商品の価格に対して以下の様な影響を与えていると思われる。 
(アマゾンの全体売上が4半期で50億ドルを超えているので通年で2兆円程、日本が約1割とされているとすると2000億?(随分と大きい数字)、その規模の仮に30%の成長率とすると年間で600億程度規模の売上がどこからか移行していることになる。経産省発表のBtoC ECのデータを見ると市場全体では毎年1兆円程の規模で拡大している。

あくまで想像だが、BtoCの消費規模が拡大していないとすると、この1兆円の拡大は、従来の流通からECへの移行によって支えられれているのではないだろうか。加えて、1兆円という数字よりも実際はより大きな数字が移行している様な感覚もある。消費全体の正確な統計数字が無いこともあり、このあたりがはっきりと見えるまでにはまだ時間がかかるだろう。
以下にその傾向を後押ししているであろう現象・動向をあげておこう。

○購買に関わる検討・情報摂取行動の短縮化・合理化
インターネットにより、商品・サービス情報の取得や比較検討が飛躍的に容易になった。それにより、購買前の検討行動や移動に費用や時間がかからなくなった。以前なら雑誌を買ったり、実際に店に出向いて情報を得たり・比較検討する行動が多くみられたが、そのかなりの部分がインターネット内で完結する様になった。

○価格比較の容易化
インターネットにより、商品情報や仕様に加え、価格比較が容易になり。低価格な売り手に購買が集中することになった。低価格を実現している売り手は、調達・購買・配送等の各プロセスを合理化(中抜き、低コスト化)しているため、販売に関わる業者数・金額ともに大きく減少している。当然ながら、淘汰される業者が多く発生する。

2)消費行動の情報化(モノからコト消費へ)
生活物資が充足し付加価値競争が行われた結果、供給される商品の品質や品位感は殆どのものが、不満につながらないレベルに到達し、量的には大幅な供給過多になった。付加価値競争がさらに進展する中で、差別化は主に非物的なレベルで行われる様なった。(物的な差別化の困難化)

○モノの情報化
一方、コンピューターや携帯電話の普及・進化が進み情報量が飛躍的に増える中で、生活者は防衛的にも情報のフィルタリング、選択に優れた能力を身につける様になった。 情報レベルでモノの価値が判断される傾向が強まる中、モノと情報が価値レベルでは融合的に処理・判断される様になった。

○消費の情報化
生活者の消費欲求が失われた訳ではないが、それがモノである割合は相対的に減少し、モノさえもコト(情報)としての意識レベルで消費されることが増えた。(モノを購買する時にネタ(話のネタ)になるかどうかといった情報価値で購買がなされることもその現れかと思う。)

コマースのE化&消費の情報化による価格引き下げ効果
消費行動のE化、消費の情報化といった大きなトレンドは、消費行動の合理化・短絡化や物質(モノ)費量は抑制傾向を生み出した。 当然ながら、それら現象の持続的な拡大は、物質やサービスの供給過多傾向を生み出し、価格低下の圧力となっている。加えて景況の悪化により、消費を抑制するムードが加えられさらに強まっていると考えている。ただ、よく言われる景況の変化以上に、上記の現象はより持続的で影響の程度も大きいのでは無いかというのが私の認識だ。

この仮説については継続的に追求し、意見を募ったり、各方面の方々と議論を深めてゆきたいと思う。

2009年10月15日木曜日

京都東山 何有荘

10/14に仕事先が所有されておられる京都の名園を訪問する機会を得た。明治時代に作られ、大正時代に現在の形を持つ様になった歴史あるとお庭だ。

比較的平坦な地形の多い京都にあって、傾斜を活かした庭園は数が限られる。何よりここの特徴は、明治、大正、昭和各時代の実業家に愛でられてきた庭であることだ。俗世間からの息抜きの場であるとともに、実業家としての交友を深める場としても機能してきたはず。

庭の隅々まで行き届く細やかな配慮と意図、多元的な視線を意識した空間のデザイン。何をとっても総合芸術として一級品の完成度だ。ただ、この庭は最近までは、オーナーに恵まれず荒れ果てていたと聞く。

この場の価値を理解されるオーナーの熱意と集中があって短期間でここまで復興された事に驚く。この様に総合的な自己表現の場を持てたかつての富裕層は本当に恵まれた時代を過ごしたのは事実だろう。現在、ここまでのものを作り出す、意識(あるいは執着)も時間的な余裕も、知力・技術も今は容易には手に入らない。

自身を振り返っても、戦前の祖先はここまでの規模ではないが、相当の庭園と屋敷を持ち、自ら所有する山と山荘を愛でる余裕を持っていたと聞く。もはや、作り出せないものにノスタルジーを感じることを、今日はあらためて確認した。

何有荘 http://www.kaiuso.com/

2009年10月7日水曜日

東急ハンズに思うこと

先日、久しぶりに渋谷で少し時間が空いたので、東急ハンズへ行ってみた。入ってビックリしたのがフロアの構成がかなり大きく変更されていたこと、加えて、各売り場の通路が広く、ガランとした印象になっていたこと。


フロアコンセプトが見直され、商品点数が絞り込まれている。いや、それだけではなくお店のコンセプトもどうやら再定義している様なのだ。時間の許す限り、フロアを回り売り場の概要を見て回る。自分の愛用品でハンズでなければ買えなかったものもあった。例えば、「3Mプラスチックテープの狭幅」は広幅しか陳列されていなかった。さあ、どこで今度は買おうか?とちょっと途方に暮れてみる。


そんな様子で、かなり失望しながらお店の中を巡ったのだが、この先の東急ハンズがとても心配になった。そもそもの魅力・強みをかなり弱めたのではないだろうか。


東急ハンズについて語るとかなり長い話になるのだが、その魅力は、大量・多品種のモノたちが提示されることで、買い手を触発し、意外なモノの発見、組合せの発見が生まれ、来店時には想像出来なかった様なアイデアや買い物を創造する点にあったと思う。“予測不能な数と種類のモノたちが買い手をインスパイアするお店”そんな能力と魅力を持った場だったのだろう。


消費が成熟した今だからこそ、予定外の買い物を触発するリアルな場が価値を持つはずなのに、完全に逆行している。東急ハンズの未来や如何に?


そもそも、ハンズはどんなお店だったのか?その始まりの頃の雰囲気。もし知りたければ僕が、企画・取材にかかわったハンズ研究本「ハンズ現象」を見て欲しい。これは、今をときめく三浦展さんの奥さん(やはり編集者)と作り、三浦さんご自身も手伝われて作った本だ。僕は顧客の類型化や、企画全体に協力し、なぜかカメラマンとしても参加した。


2009年10月6日火曜日

デフレのドライバーはインターネット?

Twitterにも書き込んでみたが、景気だけでなく、インターネットがデフレのドライバーになっていると見るのは自然ではないだろうか。
情報探索を短縮化、ローコスト化すれば他の情報摂取・探索行動は縮小する。購買にあたっても移動もせずに、中抜けのチャネルで購買する。消費行動のインターネット化は価格を引き下げるのは確実だろう。
誰か真剣に研究している人は居ないか?

2009年10月2日金曜日

Twitter試運転中


話題のtwitter、お得意のちょっと遅れ気味で試運転。なかなか微妙な環境。高名な方々も実にアクティブで良く仕事ができているな~。と思う程。自分はおっかなびっくり時々つぶやき中(なう)。

確かに新しい利用体験があって、ブログより親密感、個対個の距離感が感じらるのが美点。半プッシュなのでリアルタイム感もものすごくある。個対多のブロードキャスト的な部分と個対個の私信的な部分を両方包含しているのがとても面白い。

有名人でもフォローすると、システム化されていると思いますが、お礼が来る。オノヨーコさんや、YMOからお返事が来るとやっぱり嬉しい。
後、返事をすることに脅迫的にならずに済むのがとても良い。

自分のウェブに新コーナーを加えました

早速自分のコンテンツ化を実践すべく、自分のウェブ上でのコンテンツ充実化中です。第1弾は、読んだ本を自分が触発されたこと、理解できたことに特化して、サマライズした「曲解文庫」です。ぜひ、ご覧下さい。

2009年9月29日火曜日

マーケティングコストを掛けられるブランドの急減とマイクロブランドの拡大



最近、知人のマーケッターやコンサル仲間と議論していて気付いたことを一つ。

市場構造が変化して、マーケティング活動へのニーズの構造も大きく変化している。

マーケティング活動は大量生産・マスマーケティングの時代の中で大きく成長した。
ところが、現在は大量生産と一体のナショナルブランドの占める割合と活性が減衰しつつある。

日常品は同品質・低価格のチャネル主導のPB商品へとシフトする。その一方で、品質や商品特性を明確にしたマイクロブランドが多数存在する、
加えて、流通業全体を飲み込むEC化の流れは、告知・プロモーションニーズの細分化を加速させている。

単体で数千万から数億の規模が中心の、小さな事業の集合体が巨大な規模を持ち急激に成長している。
それぞれが投下できる個別のマーケティングコストはさほど大きくは無いが、そのニーズの切実さと件数の多さは
無視すべきではないだろう。

唯一、EC環境での広告・プロモーション事業者だけがそのニーズに対応できている。
他の多くのマーケティング事業者もこの市場への対応を急ぐ必要があると思う。

2009年9月9日水曜日

コンテンツ化する生き方

「コンテンツとして魅力があるか?」この問いで見直してみると、方針や評価が明快になる場合が実に多い。利用価値、機能的な価値ではなく、一見表層的に見える評価をもって見つめてみると、複合的な視点でモノ・コトを評価することができる。

コンテンツとしての価値。これは、色々な言葉で言い換えることができる。体験価値がある? ネタになる? 情報価値がある? 幅広く適用・応用ができる? 色々なメディアに展開できる?
社会に広まる力がある? 唯一性・独自性がある? 新規性がある? ・・・・
実に色々な意味を包含できる言葉なのだ。

機能、能力、価格、等々の仕様的な尺度で判断できない部分にモノ・コトの価値を高める要素が依存している。好き嫌いはともかく、そのことは事実として存在している。

その視点を持って、色々なアウトプットはしているのだが、自分そのものを見つめてみるとどうだろうか?大分怪しい感じがする。自らへの指針として、独りごちてみる。

自分をコンテンツとして捉える・考える


2009年9月8日火曜日

オムニボラス・プランナー??

自分はOmnivorous Planner(オムニボラス・プランナー) 雑食・企画者だ。
興味が持てるものには何でも取り組む。

モノ軸:自転車、自動車、食品、販売業、医療、ファッション、アート、医療、薬品、環境問題、健康産業、シルバー、農業、子ども、建築、施設、教育、金融、メディア、IT、新要素技術、イベント・・・

コト軸:ビジョンづくり、事業計画化、マーケティング、リサーチ、事業構築、サービス開発、業務改善、コンセプト開発、仮説形成、モデル化、要素・関係の視覚化、プロジェクトのマネジメント・推進・・・・

消費者視点、市場視点で見つめれば、実は視点は一定なのがポイントだ。
メリット:業種・領域横断的な理解と戦略視点を持つことができる
     領域横断で見る・考えることで領域を超えた新たな解を気付く・構築することができる
     →実は領域横断でなければ解けない課題が実に多い

デメリット:(前回と同様)何が強みなのだか伝えにくい。

雑食であるという事実・特徴を受容する
でも、雑食で生きてきたのが、自分のそのものであり。明確に特徴といえるのだ。

Omnivorous Planner(オムニボラス・プランナー):雑食企画者と仮に自分を定義してみよう

2009年9月4日金曜日

クロスオーバー

自分の仕事を振り返ると「領域横断」がキーワードになってきたと感じる。

仕事の持ち場それぞれに、日々、意識を特化して従事する専門家が居る。

こちらと言えば、その専門領域と社会を少し離れたところから見つめて、その価値・問題・有様を理解する。その理解を相手と共有して、今後の進む方向や具体策を考える。この一連の流れの中で、いつも共通するのが、いくつかの専門領域を跨いでの理解や発案の作業だ。

ただ、この分野の専門家というのが社会的にうまく定義されていない。いわゆる“肩書き化”されていないのだ。

日本では肩書き化されていないとなかなか仕事になりづらい。
肩書きがあると安心してお金が支払っていただけるが、反対だとなかなか仕事にするのに骨が折れる。

これまで、一番苦労してきたのがこの部分だ。提供するサービス以上に役割・機能を理解してもらい、仕事化する前段のプロセスが労力的にも効率的にもボトルネックになってきた。このあたり、どう解決するかが、昨今さらに問われている気がする。

クロスオーバーをうまく肩書き化できるとブレークスルーになる。

ハイ・インパクト

最近、周囲でインパクトの強いものを生活に取り入れる人が増えている。
トレイルランニング、トライアスロン、マラソン・・・・・

少し前までは、特別にハードコアなスポーツ指向のあった人たちだけが取り組んでいた様な種目に取り組む人がどんどん拡がっている。どんな人たちか? といえば、デザイナー・ライターといったクリエイティブな仕事の人たちだったり、様々な頭脳労働者、あるいは企業のエクゼクティブ層に居る人も多い。

日々、専門的でストレスフルな仕事をしている人が、全く方向のちがうハードな刺激でバランスを取る。そんなライフスタイルがどんどん拡がっている。

自分は?といえば、もう25年もハードコアに自転車に乗る趣味を続けている。先週も、標高差1400mを自転車で上るイベントに参加した、救えないハイ・インパクト馬鹿の仲間だ。

何事もバランスの上に成り立っている。バランスを失することが一番、心も身体も痛める。

仕事や生活、情報の質・量がハイ・インパクトだと、カウンターバランスもハイ・インパクトになる。

9月になりました

個人と会社のウェブページを統合したブログを持つことにしました。
日々、仕事の中で感じたことをつづってみたいと思います。